泡沫の庭の隅

ウマ娘から競馬を知った方向けに競走馬の魅力を伝えるべく記事を書いています

#01 ウマ娘ファンに知ってもらいたい名馬・名勝負 「元祖アイドルホース」ハイセイコー

この記事を開いていただきありがとうございます。執筆者のutakataです。記事を書くのは今回が初めてなので拙い部分もあるかと思いますが、暖かい目で見守っていただけたらと思います。


本題に入る前にブログを始めようと思ったきっかけについて簡単に書かせていただきます。
私は親の影響で幼い頃から競馬(というよりは競走馬)が好きで、オタクを名乗れる程度には知識があるのですが、この知識をどうにか有効活用したいなと考えたときに浮かんだのがブログでした。ブログを通して競走馬の魅力をウマ娘ファンの方々に伝えていき、より競馬に興味を持っていただきたいと思い記事を書くことを決めました。もちろん元々競馬が好きな方にも楽しんで読んでいただけるような記事にしていこうと思っていますのでよろしくお願いします。
では本題に入っていきます。


競馬というのは時折一大ブームを巻き起こすことがある。その背景には火付け役となるアイドルホース的存在がいることが多く、ウマ娘でもおなじみのオグリキャップもその1頭である。


オグリキャップは、芦毛の馬体や地方出身という経歴、また、鞍上の武豊騎手とのコンビが人気を集め、アイドルホースとして一躍競馬ブームを巻き起こしたが、その約15年前にもアイドルホースとして競馬ブームを巻き起こした馬がいた。ハイセイコーである。


オグリキャップの時の盛り上がり具合もすごかったが、ハイセイコーの時はそれを遥かに凌ぐ盛り上がりであった。その人気は社会全体を巻き込むほどのもので、国民的なアイドルホースにまで成り上がった。また、ハイセイコーの主戦騎手であった増沢末夫氏がハイセイコーの引退の際に歌った「さらばハイセイコー」という楽曲が45万枚の売り上げを叩き出す大ヒット曲となった。一種の社会現象とも呼べるこの一大ブームによって、競馬の大衆的な人気化にも繋がったと後に評価されている。


ハイセイコーオグリキャップ同様地方でデビューし、その後中央に移籍した。地方でデビューから6連勝していたハイセイコーは中央に移籍してからも勝利を重ね、遂には三冠レースのひとつである皐月賞をも無敗で勝利する。
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デビューから9連勝で皐月賞を制したハイセイコー


皐月賞勝利後もNHK杯(NHKマイルカップの前身)を勝利し10戦10勝となったハイセイコーはダービーでも当然1番人気に推されたが、3着に敗れ初めての敗北を喫する。この時ダービーを勝ったのがタケホープという馬なのだが、ハイセイコー菊花賞でもこのタケホープの2着に敗れた。
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ダービーで「怪物」ハイセイコーに初めて土をつけたタケホープ(写真右)


この2頭はこの後も幾度となく同じレースで当たり、最終的には8度の戦いで互いに4勝4敗という結果になった。正に好敵手と呼べるような存在であった。


クラシックシーズンを終え4歳(当時の馬齢表記では5歳)となったハイセイコーは、天皇賞(春)で6着に大敗したものの宝塚記念では勝利し2つ目のG1を手にした。その後も安定した走りを見せ、暮れの有馬記念の2着を最後に引退した。生涯成績は22戦13勝2着4回3着2回であった。


ダービーを逃してしまったハイセイコーだが、その想いは息子に受け継がれる。ハイセイコーが初めて敗北したダービーから6年後の1979年、同じダービーの舞台でハイセイコーの初年度産駒であるカツラノハイセイコがハナ差の接戦を制し、勝利を父ハイセイコーに捧げたのである。父の無念を数年の時を越え息子が晴らす。なんてドラマチックなストーリーだろうか。
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ダービーで父の無念を晴らしたカツラノハイセイコ(写真右)


いかがだったでしょうか。今後もこのような形で書いていく予定ですので是非見ていただければと思います。

余談ですが私自身ウマ娘をプレイしておりましてそこそこやっているのでよかったらフォローお願いします()
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